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ライブ映像

たまには歌の話でも。

タイトルからバイオリンの演奏動画だと期待してこられた方には申し訳ない。
バイオリンの動画も公開したいのだが、なかなか編集の時間が取れなくて上げられていない。そちらは近々公開するつもりなので、今日の所はアカペラのライブ動画でご容赦願いたい。


さて、以前に一度、アカペラグループに助っ人で参加するというような事を書いたが、本当に去年の10月16日にアキペラというイベントに出演してきた。しかも出番は大トリだった。


最近になってその時の動画が存在していることがわかった。
今日はそれを公開したいと思う。


※音質はあまり良くありません。音量も小さいので大きめがオススメです。


宇宙刑事ギャバン

左から二番目の真っ黒いのが私。


出演しているのは"ぷっちだる"というアカペラグループである。
大阪のアカペラ界では少し名の通っているグループらしい。
言うまでもなく、選曲からも判る通り「イロモノ」的な意味で名が通っている。

自分も出ているのに「らしい」というのは、私はアカペラをやらなくなって久しいからである。
実は創成メンバーの一人ではあるのだが現在は補欠。
今回は5年ぶりくらいに助っ人出演をしたというわけだ。


もう一曲くらい貼っておこう。





雨の戎橋
いかにも有りそうなムード歌謡風だが、オリジナル。


私が目指している音楽の方向が「どっちなのか」をだいたい解っていただけると思う。


せっかくなので、もう一曲いっておこう。





TOUGH BOY


ぷっちだるに興味が湧いた方は「こちら」とか「こちら」にどうぞ。



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合唱合宿(後編)-成果×成果-

モーツァルトの後は、自分の担当コマ。
途中に夕食を挟みながらも、どどーんと3時間。

モーツァルトを歌っている間に座っているのも辛いほど腰が痛くなってきたのであるが、3時間も立ちっぱなしで指揮を振れるだろうか・・・・。


現在取り組んでいる曲は『永訣の朝』という曲。
宮沢賢治の詩で、鈴木憲夫という作曲家がまだ学生だった頃に書いた作品である。

合唱としてはかなり長めの15分くらいの曲。
曲集ではなく1曲で15分。いわゆる「大曲」に分類される曲。
聴いていると大したこと内容に思えるのだが、歌ってみると拍子やテンポがめまぐるしく変化し一小節足りとも気が抜けない。


ちなみに、「永訣の朝」とはこんな曲である。


Youtubeには抜粋しかなかったが、ニコニコ動画のアカウントをお持ちの方はコチラで。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm3715708
全曲アップされていて、しかもこちらの方が私好みの演奏。


私の所属する合唱団はスローペースである。
大体二年に一回のペースでしか演奏会を行わない。・・・というか行えない。
月一度か二度しか練習のないアマチュア社会人合唱団では、これを通るようにするだけでも中々に大変である。

「永訣の朝」を練習し始めて約1年、まだこの曲を通したことがない。
普段は1コマの練習が1時間程度しか無い。通すだけで練習の25%が持って行かれるので、通すとなると覚悟がいる。
どうしてもブロック単位の部分練習しか普段は出来ないのだ。


今回の合宿の大きな目標。
それは、この曲を途中で止まらずに通せること。
細かい粗はもちろんあるだろうが、とにかく崩れないこと。


練習は明日も一時間ある。
今日は3時間たっぷり復習をして、明日最後の最後に通そう。
そう心に決めた。


   


練習が始まった。

これまでやってきたことを頭から復習して行く。
バイオリンでは先生に指摘される側だが、この時ばかりは指摘する側。
10小節程度歌っては止め、歌っては止め。


細かい音程のチェック。和声のチェック。言葉の言い方。口の形。音色。・・・
細かく指摘する時間がある。

普段はあまり踏み込めない深い曲想。作曲家の意図。詩の意味。
私なりの解釈を伝える時間がある。
曲がりなりにも"音楽"を織り込んでいくことが出来る。


ただ、歌えるだけでは面白くない。意味が無い。ソツない綺麗なだけの演奏にしたくない。

自然、練習に熱を帯びてくる。
不思議なことにアレだけ腰が痛かったのに、練習を初めて10分もすると完全に忘れ去っていた。人間集中すると痛みを忘れるらしい。



そして、瞬く間に3時間が経過し、最初から最後までひととおり細かく曲全体をさらった。
もうあと1分程しかないが、出だしだけもう一度サラリと歌っておきたい。
時間いっぱいまで歌ってもらおう。


そして、最後の一回。
行けるところまで行くことにする。


♪~


出だし。ベースから始まる男声のヴォーカリーズの掛け合いが上手く行っている。
続けての女性の入りも良い。

今日はすでに6時間ほど歌っているのに声に力がある。
本日最後だと思っているからなのか、なかなか普段出ない緊張感が出ている。


― これは・・・良い。


ファーストフレーズだけで終わるつもりだったが、止めたくない。
もうちょっと続けよう。

私は「永訣の朝」を4つのブロックに分けて練習している。
このまま、1ブロックの終わりまで行こう。


しかし、1ブロックの終わりでも止められない。
なんとも良い雰囲気が生まれてしまい、指揮者としてはそのまま2ブロックに進行せざるを得ない。


― これは・・・通せる流れだ!


そのまま2ブロックに進行する。

2ブロックの終盤。
非常に良い雰囲気だったが、時間は既に7分オーバー。
3ブロック目と4ブロック目の間には切れ目がない。このまま進んでしまうと最後まで行くしかなくなる。


このまま行くか?ここで終わるか?


結局泣く泣くここで止め。練習終了。
もともと最後の最後に通すと決めていたし、ここで通してしまうと明日の練習で緊張感を失うと判断した。


だが、とても残念。
今の流れは絶対通すことが出来た。しかも「ただ通った」にならない演奏だった。
それは歌い手も同じだったらしく、「ぇ?通さへんの?」顔。

ごめんね。明日頑張ろうね。


   


翌日、私が担当する練習の最後の15分。
今度は、「今から通します」とハッキリ宣言してからのトライ。

昨日の「通る流れ」は偶然ではなく、きっちりと通すことができた。

もちろんまだまだ荒削り。
やっと通るところまで来た・・・という段階だが一旦の節目。
これからもっと良い演奏になるように頑張っていこう。


今回の合宿では私の担当だけでなく、他に練習中の曲も全て通り、次の演奏会に向けて大きなはずみとなった。
次の課題も見えたことだし、一定の成果をあげられたのではないだろうか。


さて、合宿が終わってみると、風邪は撃退。腰痛緩和。
これはこれで成果。病の時は好きなことをしなさいってことですな。


※PC不調のため、投稿するハズだった日に遡って投稿しています。

合唱合宿(中編)-意外な弊害-

パート練習と言っても、そう多くの練習部屋を確保できるわけではないため、男声と女声に別れてのパート練習。
私が練習場に駆け込んだ時にはちょうど男声合唱曲のパート音取りをしているところだった。

所属している合唱団は混声合唱団なのだが、次回の演奏会ではステージの一つで男女別れて男声合唱と女声合唱もやることになっているため、その音取りというわけである。

音取りパート練習 ― 通称"パー錬" ― は鍵盤を弾ける人(通常はパートリーダー)が楽譜のとおりに各パートのメロディーラインを弾く。そしてそれについて歌う。
まず聴く。次に聴きながら歌う。非常にシンプルな練習方法である。

メロディーを弾いてくれる上に、皆で一緒に歌うのである。
音感が良い人から先に音が取れていくので、音感に自信が無くとも取れた人の声に合わせて歌うことで音取りはさらに容易になる。合唱はバイオリンと違って、うまい人と同じ音に寄り添って歌うことはそう難しいことではない。
これで楽譜が読めない人もバッチリ歌えるようになるというわけである。

もっとも、そのようなシステムであるが故に、長年合唱をやっているがイマイチ楽譜が読めないという人がたくさんいる。我が嫁もそのうちの一人である。

さて、この日練習していた男声合唱の曲は初見譜。
正確に言うと、事前に渡されていたのだが誰一人練習してきていないため、初見練習化した譜。10年を超えて合唱をやっていると、変に音取りのテクニックがついてしまって適当になるのである。
もちろん私も楽譜を見て来てすら無い。

私はバイオリンくらい合唱の練習をすればきっとすごい上手くなるだろう。


それはさておき、男声全員合同で男声合唱のパート練習をしている・・・ということはつまり、全然パート練習の体を無していないのだが、一応この曲の担当である正指揮者様がパートリーダー役になって、全パートの音取りをしてくれていた。なんとも贅沢な話である。
しかし、私が到着したときには、自分のパートであるトップテナーの音取りは終わっていた。


よって、後のアンサンブル練習で初見確定


私は去年までテナーのパートリーダーだった。なんとも適当なパートリーダーもいたものだ。しかし、自分で言うのも何だが今もって一応はトップテナーの「軸」ではある。「軸」が初見。
バイオリンへの真摯さの10分の1でもいいから合唱に分け与えたいものである。


そんなこんなで、パート練習を終えてアンサンブルに集まったが、男声合唱のアンサンブルは翌日に持ち越し。きっと、あまりに音が取れてなさすぎて「明日までに時間見つけて取っておけ」ということなのだろう。


   


アンサンブル練習はモーツァルトの曲。
いかにもモーツァルトな混声4部の曲である。

喉の不調が心配だったが、歌い始めてみると不思議なことに高音域の調子がかなり良い。
話をする時と歌う時は喉の使い方がまるで違うため、風邪で喉がやられて全く話が出来なくなっても歌えるということはよくある。

私は会話をするときは自分の声域中の最低音域付近で話しており、逆に合唱は高音域を中心に使う。そのため、話し声を聞いて喉の調子が悪いように見えても、即歌えないということにはならない。無意識に喉を使っている会話とは違い、歌の時は意識的に喉の形を作っているからであるが、これだけは10年合唱をやっていて手に入れた技術であると言える。
もっとも、とことん喉の調子が悪くなると最終的には全く声が出なくなる。ダメになるまでに多少時間差がある・・・というだけのことである。


モーツァルトの曲は練習し始めて1年くらいになるので、もうある程度安定して歌うことが出来てきているが、今日はどうも隣の人と音程が合わない。隣の人も元パートリーダーで、テナー全体の「軸」である。なので、この人が間違っているとは思えない。

よく聴きながら歌ってみると、全部の音が合わないのではなく、特定の音に限って私の方が高いということが解ってきた。


― 3度が全部高い


バイオリンを初めて4ヶ月弱。
ピタゴラス音階を目指してさんざん3度を高めにとる癖をつけてきた。
それが歌に影響を与えている。

しかし、合唱は、平均律もしくは純声律。3度はむしろ低めに取る必要がある。
ピタゴラス音階を一人だけやっていると周りと音程が微妙に合わないのだ。


バイオリンの音階練習が、こんなところで弊害となって出てくるとは思いもよらなかった。

バイオリンの先生が言うように切り替えて使えるようにならないと色々と困りそうだなぁ・・・


続く。

※PC不調のため、投稿するハズだった日に遡って投稿しています。

合唱合宿(前編)

連休はバイオリンの練習こそしなかったものの、音楽漬けではあった。
土日に合唱の方で合宿があり、二日間歌い続けていたのである。

今回の合宿での練習時間は二日間で実に12時間。
そのため、実は音楽に触れていた時間は、バイオリンの練習と合わせるといつもの週よりも長い。


では、合唱の合宿はいったいどんなことをするか。


ただ、ひたすら歌う。
以上。


非常にシンプルである。


さて、前置きが長くならないうちに本編に入ろう。
たまにはバイオリンではなく合唱の練習模様などをつらつらと・・・。


   

― 10月9日 土曜


前日から降り続いている雨がやまず、なんとも肌寒い秋雨の朝である。

月曜日から始まった喉の不調はピークは超えたものの、まだイガイガを残していて非常に不快。
私の喉は乾燥に弱い・・・というよりも基本的に口を開けて寝ているらしく、秋口から春先までは加湿器をかけずに寝てしまうと必ずと言っていいほど喉をやられる。今年は、もう少し10月いっぱいまで大丈夫だと思っていたが例年通り私の喉は秋の訪れを告げたのである。

そして、布団から起き上がってみると腰に違和感。
この感じは腰痛の兆候。


雨。喉痛。腰痛。

神様が寝ておけと言っている。


神様の言うとおり、こんな日は本当は寝ていたいのだが、そういうわけにもいかない。
なんとも憂鬱な合宿初日の朝である。

今日の昼から明日の夕方まで合宿。そして、明日の夕方からは別の用事がある。
この週末のバイオリン練習は絶望的であろう。

せめてもの抵抗で一時間程だけバイオリンを練習する。
私のバイオリン練習は土曜日がメインである。多い日は4~5時間練習したりする。土曜日の1時間などいわばウォーミングアップ。ボウイングと音階の確認だけで終わってしまう。

興に乗ってきたあたりで、嫁の「準備出来てるよ」コール。
しぶしぶ練習を終了し、車で合宿場に向かう。

今回の合宿場は長居ユースホステル。家から車で40分ほどの場所である。
結構ぎりぎりの時間に出てしまったのだが、雨のためか車が混んでいる。
迫る集合時間・・・これは遅刻する流れ。


なんとかギリギリ位の時間に長居に到着したのだが、いつも停めている駐車場が満車。周辺の駐車場も全て満車。
どうやら今日は徹底的に物事がうまくいかない日であるようだ。


長居公園の周りを捜し回ること30分。空いている駐車場が無い。
市営の公園駐車場は開いているだが、一時間400円上限なし。

明日の夕方まで停めるのである。さすがにこの値段設定はキツイ。
民営の駐車場は24時間上限が1200円とかなのに、公営は青天井。
それで、市民が喜んで停めて違法駐車なくなって万歳!・・・とか本気で実現するとでも思っているのだろうか。

長居公園には皆スポーツやレジャーをしに来るのである。
長時間停めにくいような駐車場の料金設定で市はいったい何がしたいのであろうか。
周りの駐車場は飽和状態なのに市の駐車場はガラガラ。この駐車場が赤字なのか黒字なのか知らないが、赤字になっても税金で補填できるとなるときっとやる気も出ないのだろう。


おっと・・・大阪市民でもないのに、こんなところで大阪市に文句を言っても仕方がない。話を戻そう。
ようやく駐車場を見つけ、ダッシュで練習場に向かう。


30分遅れで練習場に着くと既にパート練習が始まっていた。


練習に遅れて行く指揮者


ホンマすいません。


つづく・・・


※PC不調のため、投稿するハズだった日に遡って投稿しています。

指揮者とは何ぞや

少し前の記事へのコメントで、ありるまさんからいただいたご質問。


そもそも指揮者の役割とは何ぞや


過去に色んな人から同様の事を聞かれたことがある。しかし、私からの回答は毎回異なっている気もするし、的確に応えられたかどうかもわからない。ありるまさんからは「初歩的な質問」としていただいているものであるが、実は、指揮者を経験した身からしてみれば、永遠のテーマともいえる深い命題だったりする。
今回は久々にこの命題に取り組んでみたいと思う。

最初はありるまさんのコメントへの返信で書いていたのだが、途中で興が載ってしまい本編に投稿することにした。
なお、今回はかなりノープランで書くつもりにしている。「指揮者とは」というテーマは自問であり、今、自分の心の中にある指揮者像を映しだす行為。だから、映してみるまでは判らない。
まぁ・・・ノープランで書いているのはいつもだろう・・・というツッコミもあるだろうが。。。

いつもにも増して、駄文・長文になってしまうかもしれない。
また、内容には賛否あると思うし、他の指揮者の方々が見たら「それは違うだろ!」とお怒りになるかもしれない。どうか、私の超個人的な指揮者感であると割りきっていただき、それでも興味がある方はお付き合いいただけたら嬉しい。


そして、ありるまさん。
万年ネタ不足の私・・・ネタのご提供に感謝します。


   

前置きが長くなってしまった・・・。

まず、指揮者とはどんなことを普段やっているのか?
それから書いてみよう。


オケ・合唱に関わらず、指揮者に期待されている仕事は多岐に渡る。


常任指揮者であれば、日常の練習を率いることになる。
したがって、野球監督のような指導的立場としての仕事を期待される。


また、合唱団であれば時としてボイストレーニングや歌唱指導といった直接的な技術指導を行ったりもする。
プロやそれに準じる合唱団であれば専任のボイストレーナーがいるが、ほとんどのアマチュア合唱団ではそういうわけには行かない。毎回の練習で発声練習を指導するのは指揮者であることも多い。その場合にはトレーナーやコーチとしての仕事を期待される。


演奏会を開くとなれば、選曲において大きな発言力を持つ。
しかし、裏を返せば、多くの楽曲を知り、紹介できる引き出しの多さを期待されているということである。演奏者の力量を知り、曲の難易度、演奏栄え、ステージ構成による効果・・・さまざまなポイントを加味して選曲する。加えてアマチュアグループにおいては演奏者側の満足度も大きく加味する必要性がある。
ただし、こちらもプロに近づけば近づくほど、ステージをプロデュースする役職が他にあったり、場合によっては主催者の意向で曲が決まってしまっている場合も少なくない。よって、別に一曲も知らなくても問題はない。


演奏においては表現の決定権を持っている。
・・・というより、どのような表現で演奏すべきであるのかを具体的に提示する義務がある。
それは音量であったり、テンポであったり、間や奏法・歌唱法であったりするわけなのであるが、当然、多くのテクニックを知った上で楽曲を研究し、作曲家を知り、過去の演奏暦等から一般的な楽曲解釈象を学ぶなどしないと豊かな表現を提示することが出来ない。合唱ではさらに、音に詩がのっている。したがって、音や作曲家の研究とは別に、言葉や作詞家を研究する必要が出てくる。宗教曲であれば、その宗教をある程度理解し歴史を知っていなければ曲も詩も全く理解することができなかったりする。古い楽曲であればたとえ日本語であっても現代と違う意味で使われていたりする。したがって、言語そのものに対する考察が必要になる局面も存在する。
様々な角度から楽曲を解釈し、表現を選び、それを演奏者に提示する。指揮者の最大の仕事の一つであると言えるだろう。
ちなみに、こちらもプロになれば指揮者だけがすべてを決めるわけではなくなっていく。定番曲であれば楽団としての楽曲解釈があり、指揮者の持ち込んだ音楽性に全て従ってくれるとは限らない。客演指揮ではオケ解釈と指揮者解釈の「ぶつかり」や「融合」を感じることが楽しみ一つのである・・・という人もいる。


さらに、演奏は人間が集まってするものであり、当然そこには人間関係上のトラブル等がつきものである。特に大きな楽団や合唱団になればなるほど、指揮者単体の統率力ではなく、パートリーダーやサブパートリーダーを通じて組織だって活動を行う。
マエストロ級のとてつもないカリスマ性がを持ち合わせているのなら「オレ流」で振る舞っても全く問題ないのであろうが、多くのアマチュア指揮者は一般的な組織統率力が不可欠となる。よって、高いコミュニケーション能力、統率力、リーダーシップが求められる。
しかし、こちらも、コンサートマスター等の他リーダー職の統率力が素晴らしければ別になくても音楽は鳴る。


言うまでもないことであるが、アマチュア合唱団のなんちゃって指揮者である私は、どれひとつ取ってみても満足にできやしない。

   


このように、指揮者に求められている仕事と能力は多岐に渡るが「専門家がいたらそちらに任せることが出来る仕事」も多い。各知識や能力を持っている必要はもちろんあるが、指揮者の本質的な役割とは異なるような気がする。


では、前でタクトを振ることだけが本質的な指揮者の役割か?

よく、指揮者のタクトでテンポが決まっていると一般的には認識されている。
確かにそうだが、必ずしもそう「なれている」とは限らない。
演奏者の力の方が高く指揮者が力量的に劣っている場合、指揮者は立って降っているだけの人になる場合がある。
この場合「リズムを取っているだけの人」ですらない。実は演奏に合わせて振っているだけのお飾りに成り下がっていたりする。


演奏者の能力が高い楽団はタクトがなくても演奏ができる。実はテンポは指揮者がいなくてもそろうのである。むしろ、指揮者が指示しないと揃わないようでは、音楽が揃わない。辻井伸行という盲目のピアニストがいるが、当然だが指揮が見えない。しかし、ピアノ協奏曲を演奏している姿をみると、タクトが見えていないなどとは信じられないレベルでオケと合っている。もちろん辻井伸行が類まれなる演奏家であるからこそなのだが、いわゆる「指揮法」はこの場合あってもなくてもどっちでもいいのである。


私の指揮の師匠は言う。

本当に素晴らしい指揮とは、振らない指揮である


本当に素晴らしい指揮者は指揮など振らなくても、ただステージに上がっただけで空気が変わる。
ただそこにいるだけで演奏者からは、音楽がほとばしり出てくる。
それは安心感から来るのか、カリスマ性のなせる技か・・・。

別に指揮法や知識が不要というわけでは決して無い。
あらゆる技術と知識と能力を持った上で、それを超越したところに指揮者としての真の役割が有る気がする。




今、私が思う指揮者の役割は二つ。

引き出す事



場を作る事


演奏者が持つ真の実力と音楽性を引き出す。
スコアに隠された意味や表現、作曲家の意図を引き出す。

それらを融合して"音楽"にする。


引き出された音楽が"鳴る"ためには、そこに"場"がいる。
空気感というか、緊張感・・・もっというと期待感とでも言おうか。

マエストロは背中で聴衆をも指揮するという。
聴衆の期待を持った空気感や緊張感も含めて音楽の場が出来上がる。
場を支配できないものはそこに感動する音楽を置くことはできない。

真の指揮者のステージは、指揮台に登る前、舞台に入ってくる時からもう"指揮"がはじまっている。立ち振る舞いの一つ一つで場が創られていく。そして、観客に背中を向けてタクトを構えた時・・・まだ"音"がなっていない時からもう音楽が始まっている。


なんだか曖昧な感じだが、指揮者とはそういうものだと思っていている。
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プロフィール

ぷぃぷぃ 虫

Author:ぷぃぷぃ 虫
酒飲み三十路男。
ふと思いつきでバイオリンを初めてしまう。合唱歴は10年超えだが楽器は素人。
ひょんな事からヴィオラも初め「させられる」。レイトスターターながらスイッチプレーヤーを目指すことに・・・

職業 SE。やぎ座のA型。

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