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大切なことを言葉にしてもらった

『そんなに練習して、どうするん?』


バイオリンを習い始めて初期の頃、よく人から言われたセリフだ。
当時週に10時間以上練習していたので、そう言われるのも無理はなかったと思うが、その時はとにかくバイオリンが弾けるようになりたかった。


でも、目標があったわけでも無かった。


冒頭の問いは要するに、「今更バイオリンが弾けるようになってどうしたいの?何が得なの?」という事を問われているのである。そして、私はその問いに対する答えを持っていなかった。


― なぜだろう? なんでバイオリンを一生懸命やるんだろう?


私は、本来3日坊主だ。
そして、バイオリンの練習は初期の大きく伸びる楽しい時期はともかく、それ以降は成長しているのかどうかよく判らずに辛い思いをすることも沢山ある。
なのに、2年を超えてもまだ嫌になってやめてしまう気配は無い。それは何故なのだろうか。


   


今回の記事は、テーマをみゃくこさんのブログからお借りしている。
いわゆる「トラックバック記事」というカテゴリになるのだが、アメブロはトラックバック機能を削除してしまったので、単に「引用記事」ということになる。みゃくこさんは私のバイオリン仲間で、今度の発表会ではゲームアンサンブルで同じステージに立つ事になっている。また、我が家にも呑みに来ていただいたこともあり、バイオリンを通じて知り合った大切な友人の一人だ。

彼女はブログで『大切なことは言葉にならない。』というタイトルで、冒頭の問いに対するみゃくこさんなりの答えを最近書いてくれた。そして、それがものすごく共感する内容というか、ぼんやりとそういう風に思っていた事を見事に言葉にしてくれたという内容だった。あまりに嬉しかったので便乗して私も書いてみたという訳である。

いつか弾きたい、人生のテーマ曲のようなものがある!とか
どこどこのホールの舞台に絶対立ちたい!とか
どこどこのオケに入りたい!とか
やる以上は、どれも経験したいことではあるけども
それが明確な目標・終着点かというと、そうでもなくて
じゃあ、何をしたくてヴァイオリンをやっているのか。


私も同じ。
色々と経験できるならしようとは思っている。

だが、長期的な目標とかゴールが無い。
ものすごく弾きたい曲があるわけではなく、特別気に入っている作曲家がいるわけでもない。

なんとなくでバイオリンをやっている風なのだ。
そのくせ、練習に手を抜いているかというと、社会人としては「減って」週5時間の練習時間というのは決してそうは思えない数字である。

だから困ってしまうのだ。「何故バイオリンをやるのか?」と問いかけられると・・・。

ひとつのことを突き詰めていく中で
自分という人間そのものを、すごくシンプルにしていきたいのだと思う。
後を、先を、考える前に心を真っ白にして何かに没頭する。
座禅を組んで悟りを開いてくような、そんなような感じ。


そうかもしれない。
私は明確に長年バイオリンに憧れ続けていたというわけでもないが、バイオリンを弾く目的のようなモノがすごく内側に向いている気がする。座禅の真似事のような事は長くやってきているが、その時の感じに近いようなことをバイオリンに求めているというのはすごく納得がいく。

ゴルフを「真剣な」趣味にしているのと似ているのかもしれない。
よくゴルフは、『審判が自分の中にいる』と言われる。男性社会の中では仕事に必要だったり、賭けゴルフをやったりと、コミュニケーションツールの一つとして成立しているために外面的なアウトプット部分がクローズアップされるが、その実、すごく自分の内面を見つめることになるスポーツらしい。


バイオリンを弾いているとまるで自分の鏡のようだと思う。
身体が疲れている時、精神的にやられている時は全部音に出る。一方で、時に、数ヵ月前には全く太刀打ちできなかったパッセージを苦もなく弾けている自分に気付くことがある。自分の中で新たなる回路が出来て、それを感じ、やがてそれを「感じなくても良い程に」自分に組み込まれていくことが嬉しい。

練習がきつくて気乗りしない時、本番に向けて緊張している時、逆に自由に歌うように弾けている時・・・いつも対峙するのは自分の内面である。バイオリンを弾いている時は自分の内側がよく見える。もっと言えば、弾いている時に自分の内側がほとんど見えない状況の時はテンパッて弾いている時であり、もうグチャグチャの演奏をしている時である。
だから、自分の内側と対話するためにバイオリンを弾いているのかもしれない。


それは別にバイオリンでなくても構わなかったと思う。人によってそれがゴルフだったり、模型作りだったりするわけで、結局、「自己満足の為だけにどこまでも入っていく」という点では変わらない。私の場合、それがたまたまバイオリンであり、そして音楽だっただけである。


「なんでバイオリンを?」という問いは「なんで生きるの?」とあまり遠くない質問だと認識している。


バイオリンと人生はもちろんイコールでは無いが、聞かれても困る感が似ている。
『生きる理由がよくわからないから今すぐ死にますわ』ってならないのと同じ感じ。
たまたま生を受けたというのと同じで、たまたまバイオリンになったとしか言いようがないのだ。

物理的にはほとんどと言っていいほど、何にも縛られない自由な環境にいながら
内面はかんじがらめになって、身動きが取れなくなることが多々ある。
でも、がんじがらめにしているのは他でもない自分自身だと言うことも分かっていて
こんがらがりにこんがらかった糸をほどいて、削ぎ落として
"がんじがらめ"の真ん中にあるもの・・・それを仮に、自分自身の本質と呼ぶなら
それを、手のひらでそーーーっとすくいとってやるような
そういう救いを自分自身に求めているのだと思う。



モヤっと想っていたことを、他人に言葉で表現してもらえた時の嬉しさという心理を理解していただけるだろうか。


なんとなく感じている「がんじがらめ感」。
すごく解る。

私は外ヅラだけは良いので、他人からはかなり自由に楽しく生きているように見えていると思う。でも、その実、勝手に内面で「ワー!」っとなっていることは良くある。

しかし、それは、勝手にそう思っているだけだ。


悟りとは『 5 = 5 』だと思えるということだと教えてもらったことがある。
人間、置かれている状況によって自分の力を大きく『10』に見せようとしたり、逆に自分を過小評価して『1』位に思って縮こまってしまったりする。そうではなく、環境や状況にかかわらず、自分は 『5』であるという意識に静かに立っていられることが悟ると云うことだそうだ。人が見ていても見ていなくても『5』、楽しくても悲しくても『5』、相手のほうが偉くても自分のほうが偉くても『5』。
つまり、「本当の自分」をちゃんと知っていて、それをいつも出せていることが悟り。

よく、「死が怖くない」ということが「悟り」だと言われることがあるが、それは少し違うらしい。人間、明日死ぬと決まれば「明日死ぬ前提で」今日の行動を変える。たとえ死が怖くなかったとしても、「俺はもう十分やってきたから明日死ぬにあたって今日はゆっくりと人生を振り返ろう」となっている状態は『10』らしい。逆に、「もっといっぱいやっておけば良かった」と後悔する、つまり死が怖い状態というの『1』らしい。
そうではなく、「あ、そう」となって、昨日までと変わらず、粛々ともともと今日やるべきだった事をこなす。それが『 5 = 5 』の悟りの状態だそうだ。


でも、それは簡単なようで簡単じゃない。
自分自身の本質とか本来の有り様とか、日常の中で見えなくなってしまっている人は多い。

誰に頼まれたのでもない、誰に強制されるわけでも、何を求められるわけでもない、バイオリンを弾くという行為を通して、自分にとっての『5』を探しているのかも知れない。過信でも過小評価でもない有りのままの『5』の状態。どんな大観衆の前でも、自分の『5』を『5』として出せる為に練習している。どんなに仕事が忙しくても日常で嫌なことがあっても、自分の『5』を『5』として出せる為に練習をしている。

そのプロセスの中で自分の強さ・弱さがいつも悔しいくらいに見えてしまう。

それは究極的には自分の内側ととことん対峙するという行為であり。それはつまり禅のプロセスに通じる。
バイオリンを突き詰めていく行為に『禅』のこころを見出すなんて、みゃくこさんは凄いなと思う。



今度から、冒頭の問いかけを受けたらこう答える事にしよう。


バイオリンとはつまり禅である

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comment

Secret

道楽

ひさしぶりの記事アップだと思ったら、深いなあ。
いきなり深い話題だね!!

私は子供のころからやっているので、もう生活の一部であり、いちばんしっくりくる言葉は「道楽」かなあ。
趣味というには度を越してるし~。

ぷいさんがブログお休みしてる間に、私は思うところあって、自分のブログはやめることにしました。
今まで、仲良くしてくれてどうもありがとね。

でも、ぷいさんのブログにはこれからもちょくちょく寄らせてもらいますね~。

No title

私は単に「楽器演奏が好きだから」ですよ。
週6日、毎日約2時間は練習してます。
木曜日はアマオケの練習日なのでそれもいれれば週に14時間は弾いてる事になりますね。
もちろん弾きたい曲は沢山ありますが別にそれが弾けるようにならなくてもいいです。
とにかく楽器が弾ければヴァイオリンじゃなくてもいいんです。
楽器は私の一部なので弾けなくなったら困ります。
メンタムリップが無ければ生きていけないのと同じです。

Re: 道楽

>yamanokanata さん

どうも、お久しぶりです。

「道楽」

良いですね。
決して「遊んでいるだけ」という意味合いじゃないですし、かと言って修行ってわけでもない。バイオリン道を楽しむ。趣味ではなく道楽っていうのが素晴らしいと思います。

私の好きな言葉に「人生は冥土までの暇つぶし」という、とある大僧正の悟りの境地から来た言葉なのですが、人生とは冥土までの暇つぶしにすぎないから、どうせなら極上の暇つぶしをしなさいよいうニュアンスです。その為に、道楽を持つことがとても大切らしいのです。道楽は決して楽しいことだけじゃなくて、時に面倒くさいこととかシンドいことも色々あるけど、それらを受け止めて、なお、楽しめる事が道楽なのだと。

私の場合はまだ「道楽」に出来るほどバイオリンが弾けませんので、修行中ってことで「禅」に見立てているという感じです。その先には「道楽」が待っていると信じているのですがね・・・。

おっと・・・このまま行くとこのテーマで一本ブログを書いてしまいかねないのでこれくらいにしておきます。


ブログおやめになるのですね~。残念です。
実は結構な隠れファンでして、RSSに登録して毎回読んでいたのでなんとなく顛末は存じ上げております。
今まで楽しい話をありがとうございました。

Re: No title

エメラルドさん

こんにちわ。メッセージありがとうございます。
毎日2時間とはすごいですね。それだけ弾いたら自分の一部にできそうですねぇ・・・あぁ、私もそれくらい練習したい。

「楽器演奏が好きだから」

これはすごい羨ましいかもしれません。
何かをするのに、「好きだから」で他に理由がいらないというのはこれほど良いことはありません。

私は本質的には楽器演奏にあまり向いてないというか、きっとそこまで好きじゃないんだとずっと思って生きてきましたので。。。バイオリンだけはタマタマすごいピッタリ来ただけなんですよね。

私は「楽器演奏へのあこがれ」みたいなのはずっとあったのですが、ピアノは挫折、フルートは一日で挫折、リコーダー系もからきしダメ・・・と、なかなか楽器に真っ向から取り組めたことって今まで無かったんですよね。そういった場合、私は「弾けるようになった自分」が欲しいだけで、練習はしたくない。イキナリ弾けるようになったらいいのに・・・ってね。要するにカッコつけたいだけ見たいなところがあるんですよね。
理由がすごく外向き。「楽器」が好きなんじゃなくて「楽器を弾ける自分がきっと好き」見たいなねじれた欲求なんですよね。

それがバイオリンはすごく内向的っていうか、別に人前でかっこ良く弾けたらなぁ・・・とかあまり思わない。それより、カイザーとかフリマリーとかのエチュードがステップアップしていってる事とか、自分的にすごい気を使って弾けた時とか、そういう自分が磨かれている事に対する自分だけの喜びみたいな・・・そんな感じなんですよね。

ま、「それが好きっていうことだよ」という事になってしまえば、それまでなんですけどね(笑)
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プロフィール

ぷぃぷぃ 虫

Author:ぷぃぷぃ 虫
酒飲み三十路男。
ふと思いつきでバイオリンを初めてしまう。合唱歴は10年超えだが楽器は素人。
ひょんな事からヴィオラも初め「させられる」。レイトスターターながらスイッチプレーヤーを目指すことに・・・

職業 SE。やぎ座のA型。

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